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ボルーシャ郡(、, )は、アメリカ合衆国フロリダ州のフロリダ半島大西洋岸に位置する郡である。西と南はセントジョンズ川が郡境になっている。1854年12月29日に設立された。2010年国勢調査での人口は494,593人であり、2000年の443,343人から11.6%増加した〔Quickfacts.census.gov - Volusia County - accessed 2011-12-06.〕。郡庁所在地はデランド市(人口27,031人〔Quickfacts.census.gov - DeLand, Florida - accessed 2011-12-06.〕)であり、同郡で人口最大の都市はデルトナ市(人口85,182人〔Quickfacts.census.gov - Deltona, Florida - accessed 2011-12-06.〕)である。 ボルーシャ郡は北に隣接するフラグラー郡とともにデルトナ・デイトナビーチ・オーモンドビーチ大都市圏を構成しており、さらにオーランド・デルトナ・デイトナビーチ広域都市圏にも含まれている。この広域都市圏には、オーランド・キシミー・サンフォード大都市圏およびザ・ビレッジズ大都市圏(サムター郡)も含まれている〔Update of Statistical Area Definitions and Guidance on Their Uses , page 114〕。広域都市圏人口は2010年時点で2,818,120人と推計されている。 == 歴史 == ボルーシャ郡は1854年12月29日に、オレンジ郡から分離し、フロリダ州議会によって設立された。郡名は当時最大の町だったボルーシャから採られた。設立時の人口は600人に過ぎなかった。 「ボルーシャ」という名前の由来は不明だが、下記のように幾つかの説がある。 # 1700年代初期にティムクア族インディアンの文化が衰退した後、この地域に流れてきたユチ族インディアンの言葉で「ユチの土地」を意味する言葉から採られたとする説〔。ユチ族は、ボルーシャの町から南に約10マイル (16 km)、スプリングガーデンズの地域に住んでいた。 # ボルーズというイギリス人から採られたとする説。ボルーズは1700年代後期にセントジョンズ川沿いにプランテーションを所有していた。 # 郡内にあった交易拠点の所有者のフランス人あるいはベルギー人に従属するベルーシェという人物から派生したとする説。ある説では、これがイギリス支配時代のことであり、また別の説では1818年頃であるとされている。ベルーシェという名前が長い間に英語化されてボルーシャになった。 # ボルーシャの町がジェレ・ボルシアという人物によって設立され名付けられたとする説。 # ローマの法学者ボルシオに因みスペイン人が名付けたとする説。ボルシオは30冊の著作を著し、ローマ皇帝のマルクス・アウレリウスを教育した哲学者だった〔。 ボルーシャ郡となった地域にはティムクア族とマヤカ族が住んでいた。どちらの部族もヨーロッパ人開拓者との接触後、病気や戦争で人口が激減し、現在では絶滅されたものとされている。トモカ州立公園の大型貝塚など郡内の様々な地域で、その生活の痕跡が見られる。 イギリスがフロリダを支配した時代、アンドリュー・ターンブルが郡南東部にスマーナと呼んだ植民地を始めたが失敗した。この植民地はキングス道路を介して東フロリダの首都セントオーガスティンに繋げられていた。植民地経営に失敗した後、メノルカ島出身者が多かった開拓者達は、70マイル (110 km) 離れたセントオーガスティンまで戻ることができた。 セミノール族インディアンはアラバマ州やジョージア州にいたクリーク族の子孫であり、インディアン準州への移住に抵抗し、ボルーシャ郡の様々な場所で生活した。第二次セミノール戦争(1836年-1842年)のとき、現在デイトナビーチがある場所にあった大型の砂糖プランテーションが、セミノール族によって燃やされた。 1936年、セントジョンズ川の東岸、現在のデバリーで、ウィンフィールド・スコット将軍が砦兼補給所を建設し、フロリダ砦と名付けた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ボルーシャ郡 (フロリダ州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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